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啓蒙は死んだ、もつれに栄えあれ
ダニー・ヒリス
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Japanese Translation of Danny Hillis “Enlightenment is dead, long live the entanglement”", still in progress.
我々人類は変わりつつある。人類は自分の創り出したものとあまりに絡み合うようになったので、もはやそれを区別はできない。我々は自然と人工物の区別を抜けだしてしまった。我々は、我々の作るものなのだ。我々は自分の思考だ。それが自分のニューロンにより創り出されたものだろうと、電子的に補助された心の創ったものだろうと、技術に仲介された社会的なやりとりによるものだろうと、機械が独自に創り出したものだろうと。我々は自分の身体だ。それが子宮で生まれようと試験管で生まれようと、遺伝子が親から受けついだものだろうと設計されたものだろうと、器官が補助され、修復され、移植され、量産されたものだろうと。 我々の人工器官的な拡張は、単純なものはコンタクトレンズや刺青から、複雑なものはロボット義肢や検索エンジンにまで至る。それは機能的でもあり審美的でもある。我々は我々の近くするものであり、それが目や耳を通じてだろうと、感覚器に連結された超スペクトル帯的なセンサーを通じてだろうと同じで、我々自身の脳により処理されたものも、コンピュータに処理されたものも含む。我々は自分自身の制度であり、協力する超有機体であり、人間や機械が超人類的知性とからみあったアマルガムであり、それが処理し、知覚し、決定し、行動している。我らが故郷の惑星は、エンジニアリングされた性めいたと、進化した機械の両方が暮らす場所だ。我々の大気そのものですら、森林、農地、工場による創発的な創造物だ。我々の商業、権力、通信のネットワークは、生態系や神経系と同じくらい豊かな相互接続を持ち始めている。啓蒙主義のツールから力を得て、貨物と燃料と金融のネットワーク化されたフローにより、情報とアイデアで結ばれた我々は、何か新しいものになりつつある。我々はもつれの時代の夜明けにいるのだ。
その前の時代、啓蒙時代にあって、我々は自然が法則に従うことを学んだ。こうした法則を理解することで、予測して操作できる。我々は科学を発明した。自然の暗号を解読し、力を得たことで、我々は世界を自分自身の幸福追求に向けて形成しはじめた。我々は自らに神のような力を与えた。空を飛び、遙かな距離を超えて通信し、資格と音の瞬間を凍結して保持し、元素を変換し、新しい動植物を創造できるようになった。想像力から新世界を丸ごと創り出した。時間ですら我々は活用できるようになった。惑星の運動を説明するのと同じ法則が、時計の振り子を造れるようにしてくれた。だからかつては身体のリズムや天のリズムにより生み出された時間そのものが、機会のリズムにより定義しなおされた。自然法則について新たに発見された知識を元に、人類は機械にとどまらず、政治、法、経済システムにおいてもすばらしい因果連鎖を編み出せるようになった。哲学は人類と自然、精神と物質、原因と結果をきれいに分離した。我々はコントロールすることを学んだ。
いずれ、啓蒙的な熱狂の究極的な表現として、人類はデジタルコンピュータを構築した。これはまさに因果律を体現するものだ。コンピュータは啓蒙主義の聖堂であり、論理的決定論ツールの究極表現だ[1]。これを通じて、人類は啓蒙主義の通貨たる知識を、自分の心の能力を超えて操作することを学んだ。我々は新しい現実を構築した。予想外の振る舞いを示す複雑なアルゴリズムを構築した。つまりこの啓蒙主義的思考の記念碑の中に、我々はその滅亡の種を撒いたのだった。我々は自らの理解を超えて育つ創発的な振る舞いを持つシステムを構築しはじめ、その基礎に最初の割れ目を作り出したのだ。
啓蒙主義の基礎に対する第二の脅威は、人類が作り出した組織制度だ。通信技術のおかげで、想像を絶する規模と能力を持つ機関が構築できるようになった。現代企業やNGOは、何万人も擁し、そのほとんどはお互いに一度も顔を合わせたことがなく、協調行動が可能で、世界を形成する意思決定をしている。政府はもっと大きい。世界的な通信ネットワークで可能になった、新種の自律的強力関係が発生しはじめている。こうした機関すべては、それを作り出した個別の人間よりずっと強力になれるし、多くの意味で、それらは独自の目標を持っている。こうした機関は自分の資源コントロール能力を高め、自分の生存を強化する形で動きがちだ。個別の人間よりはるかに多くの情報を知覚し処理できるし、ずっと多くの物質やエネルギーを操作し、行動のやり方も場所も多く、ずっと多くの力を擁し、ずっと強力に注目できる。世界の舞台では、個人はもはや最も影響力のあるプレーヤーではない。
技術や制度組織的な被創造物がますます複雑になるにつれて、人類がそれと持つ関係も変わってきた。我々はいまや、かつて自然と向き合っていたような形で関係している。創造物の支配者となるかわりに、それと交渉し、なだめすかして、自分の目標におおむね向かうよう導いている。人類は自らのジャングルを作り出し、それが独自の生命を持っているのだ。
啓蒙主義への最後の一撃は、機械の中に学習し、適応し、創造し、進化する能力を組み込んだときにやってくる。そうすることで、我々は機械に人類を超える力を、世界や機械たち自身を、我々の想像もつかないような形で形成する力を与えることになる。我々はすでに制度機関に対し、人間にかわって行動する能力を与えている。そして機械についても、同じような落ち着かないバランスを持つことにならざるを得ない。チェックや抑制を組み込む、同じような試みを行い、機械の目標を人類の目標と一致させようとするだろう。同じような課題に直面する。そうする中で、啓蒙主義的思考の理解可能は論理からは遠く離れる必要が出てくる。もっと複雑な思考に移行しなければならない。自然の予想外の力について心配するよりも、自分自身が構築したものの予想外の振る舞いについて心配することになるだろう。
では、人類が創りだしつつあるこのすばらしき新世界とはどういうものだろうか。それは自然の謎や科学の論理が律するものではなく、それらのもつれの魔法に支配されているのだ。それはストレンジアトラクタ-の数学に支配されている。その幾何学はフラクタルだ。その音楽は作曲されるよりは即興的で生成的だ。モーツァルトよりはイーノだ。その芸術はできたものよりはプロセスについてのものだ。その根っこにあるのは、グレイ・ウォルターのサイバネティックな亀[2]だ。マーヴィン・ミンスキーのランダムに配線されたSNARC学習機械[3]だ。そして生活空間のアーキテクチャが、大量のモルモットと観察するロボットとの相互作用から創発される、ニコラス・ネグロポンテのSeek[4]だ。もつれの美学は、完全に自然でも人工でもなく、その最高の部分のブレンドから生じるプロセスから創発される美だ。ネリ・オックスマンによる、ロボット配線メッシュ状に吐き出されるかいこの網[5][6]だ。石井裕の tactile display [7][8]や、かれの生きたバイオロジック繊維だ[9]。人はもはや己を自然界や技術と切り離して見ることはできない。むしろその一部として統合され、相互依存され、もつれあった存在としてしか見られないのだ。
啓蒙主義では、進歩は分析的で、物事を分解することから生まれた。でももつれの時代での進歩は合成的であり、ものごとをくっつけることから生じる。生命体を分類するかわりに、それを構築するのだ。新世界を発見するかわりに、それを創造するのだ。そして創造のプロセスもまったくちがっている。啓蒙時代の共同作業についての典型的なイメージを考えよう。白粉を振ったカツラをかぶった白人男性55人が、フィラデルフィアの一室にすわってアメリカ憲法の条文を書いている様子だ。これをウィキペディアを構築した世界的な共同作業のイメージと対比させてみよう。この相互接続された文書はあまりに大きくあまりに急変しているので、だれか貢献者一人がそのすべてを読むことすらできない。
もつれプロセスの見事な例が、進化と変形生成を通じて人工物を設計するための、生物にインスパイアされたアルゴリズムのシミュレーション活用だ。複数のデザインが何世代にもわたり突然変異し、培養され、選択される。これはダーウィン淘汰に似たプロセスだ。 こうしたプロセスで作り出される人工物は、エンジニアリングで作られたものとはまったくちがって見える[10]。進化で生まれたバイクシャーシは、自転車のフレームというよりは腰骨に似ている[11]。進化デザインプロセスを通じて生み出されたコンピュータプログラムは、脳の神経回路と同じくらい理解しにくい。だからこうした生物学にインスパイアされたプロセスで設計された人工物は、生物学的組織が持つ優れた特長と困った特長の両方を持つ事になる[12]。その見事さは、機能的な適応ぶりだ。これがもつれのエレガンスとなる。プロセスから創発する美の新しい表現だ。もつれたデザインプロセスでは、人間はインプットはしてもコントロールはできない。たとえば淘汰プロセスに参加したり、パラメータの微調整をしたりすることで美的選択に影響は与えるかもしれない。こうしたプロセスは、複数の機械と複数の人間の共同作業に開かれたものとなる。なぜなら、部分同士のインターフェースが流動的で適応的だからだ。最終的にできるものは、人間と機械の共同作業とも言うべきもので、ずっと優れた結果をもたらすことも多い。それは、人間にはびっくりするような振る舞いを見せるかもしれない。そうした振る舞いの一部は適応的なものかもしれない。たとえば、コネクションマシン上で進化させた初期の歩行機械は、人間のプログラマたちが存在すら知らなかった、浮動小数点ユニットの目につかない丸めエラーを活用した[13]。この意味で、もつれプロセスが作り出す人工物は、生物学的な有機体の堅牢性をある程度持ちつつ、その驚きと喜びも持つことになるかもしれない。
有機体の有機的な美しさを示すだけでなく、こうしたデザインはまた有機体の複雑な不可解さを示すこともある。というのも、そうした人工物の特長が機能的な要件にどう対応しているのか、必ずしも自明ではないこともあるからだ。たとえば、進化したプログラムでは、コードのあるラインの目的を見分けるのはむずかしいかもしれない。それどころか、何か固有の目的があるという考え方そのものが、おそらくは不適切になる。機能的な分解という発想は、因果律を体現するためにコンポーネントを配置するという工学的なプロセスからきているから、機能的な意図というのは工学プロセスの作りだしたものだ。シミュレーションされた生物学的プロセスは、人間のデザイナーがやるような意味ではシステムを理解しない。むしろそれは、理解することなしに何がうまく行くかを発見する。これは強みと弱みの両方を持つ。もつれ人工物は、人工的でもあり自然でもある。それは作られたものでもあり、生まれたものでもある。もつれの時代には、両者の差にほとんど意味はない。
我々が自分たちの技術ともっともつれてくると、人間同士ももっともつれてくる。力 (物理的、政治的、社会的) は理解可能なヒエラルキーから、もっとわかりにくいネットワークにシフトした。我々はもはや、物理的空間や意図的なデザインを反映したゆるやかにつながり合った部品に世界を分解することでは、世界の仕組みを理解できない。むしろ人々をつなぐ情報、アイデア、エネルギー、物質のフローや、通信、信頼、のネットワークと、そうしたフローを可能にする分布を見なくてはならない。これこそジョシュア・ラモが指摘したように[14]「私たちの時代の性質/自然」なのだ。
では、我々はこの技術やお互いとの新しい関係についてどう考えるべきだろうか?それを恐れるべきか受け入れるべきか?答えは、その両方だ。たとえば科学など、世界の新しい強力な力すべてど同じく、これはよい目的にも悪い目的にも使われる。そしてそれがよい意図をもって使われるときですら、人類はまちがいを冒すだろう。人類は、調理用の火がはじめて手に負えなくなり森林火災を引き起こしたとき依頼、この難問に取り組んできた。これを認識したからといって、人類がこの責任を負わずに済むようにはならない。単に、それがなぜ重要かを教えてくれるだけだ。我々は自分自身を作り直しているのであり、自分が何になろうとしているのかを賢明に選ぶ必要があるのだ。
かいこが一本の絹糸から繭を造れる能力にインスパイアされて、ネリ・オックスマンとそのMediated Matter グループは、かいこ6500匹を使ってCNCの造った繊維の上に、絹のパッチを吐かせた直径3メートルの絹のパビリオンを共同で設計構築した。
石井裕の Tanglible Media グループは、3Dコンテンツを物理的にレンダリングできる Dynamic Shape Display を開発した。これでユーザーはデジタル情報と実体的な形で相互作用できる。
石井裕とその Tangible Media グループは、応答性ある変形可能なスキンの覆いを作り出すよう生命体にプログラミングすることで、「つくる」と「育てる」のギャップを埋めている。かれらの BioLogic は生きた細胞をナノアクチュエーターとして使い、また工学的材料、幾何学、構造にも使うことで、適応的な変形を実現している。 Biologic は、もつれのプロセスと審美的な感性の両方を示す実例だ。

References

[1]"Turing's Cathedral: The Origins of the Digital Universe". Pantheon Books, (2012): 邦訳『チューリングの大聖堂』
[3]"Talking Nets: An Oral History of Neural Networks". MIT Press, (2000): 304-305. [https://books.google.com/books?id=-l-yim2lNRUC&lpg=PA304&dq=minsky%20snark&pg=PA304#v=onepage&q=minsky%20snark&f=false]
[5]"Robotically controlled fiber-based manufacturing as case study for biomimetic digital fabrication". Green Design, Materials and Manufacturing Processes. CRC Press (London), (2013): 473-8.
[6]"Silk pavilion: a case study in fiber-based digital fabrication". Proc. Fabricate. (2014): 248--255.
[7]"Physical telepresence: shape capture and display for embodied, computer-mediated remote collaboration". (2014): 461--470.
[8]"Shape Displays: Spatial Interaction with Dynamic Physical Form". Computer Graphics and Applications. Vol. 35. IEEE, (2015): Num. 5. 5--11.
[9]"bioLogic: Natto Cells as Nanoactuators for Shape Changing Interfaces". (2015): 1--10.
[11]"CAD Is a Lie: Generative Design to the Rescue". Vol. Jan. 6. Autodesk, (2016): [http://lineshapespace.com/generative-design/]
[12]"Control of a Powered Ankle–Foot Prosthesis Based on a Neuromuscular Model". IEEE TRANSACTIONS ON NEURAL SYSTEMS AND REHABILITATION ENGINEERING. Vol. 20. (2010): Num. 2. [http://biomech.media.mit.edu/wp-content/uploads/sites/3/2013/04/Control-of-a-powered-ankle-foot-prosthesis-based-on-a-neuromuscular-model.pdf]
[13]"Evolving 3D Morphology and Behavior by Competition". Artificial life. Vol. 1. (1994): Num. 4. 353-372.
[14]Joshua Cooper Ramo. "The Seventh Sense: Power, Fortune, and Survival in the Age of Networks". Little, Brown and Company, (2016):
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